第109回

予言と人類学――東アフリカ牧畜社会ボラナとヌエルの比較研究より

開催概要

【日時】日時: 2016年2月19日(日曜日) 15:00~18:00

【場所】東京大学駒場キャンパス14号館407教室

(地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html

*エントランスカードをお持ちでない方は、テニスコート側の外階段より4階までお越しください。

【登壇者】

  • 大場千景(日本学術振興会特別研究員PD/大阪府立大学)

      • 「「思考様式としての予言:エチオピア南部ボラナ社会における「予言者の予言」の再意味化現象を事例として」

  • 橋本栄莉(日本学術振興会特別研究員PD/九州大学)

      • 「循環する真実と謎:南スーダン・ヌエル社会の予言語りと出来事」

  • 箭内匡(東京大学大学院/教授)

      • コメンテーター

【タイムスケジュール】

    • 15:00~15:10 主旨説明

    • 15:10~15:50 発表者①

    • 15:50~16:00 休憩

    • 16:00~16:40 発表者②

    • 16:40~16:50 休憩

    • 16:50~17:10 コメント

    • 17:10~18:00 ディスカッション

研究会概要

未来を予め知るための手段であるとされてきた予言的言説は、実は人間の行動様式と深く関わりながら、ある集団で共有される信念を支え、持続させるために存在してきた。予言とその「成就」を指す出来事、そしてその解釈的行為は、時としてローカルなコンテクストから抜け出し、多様なアクターによって構成される「現在」や人間の新たな経験をパフォーマティブに形作っている。

本企画が取り上げるのは、いずれも19世紀末頃に東アフリカ牧畜社会に存在していた予言者によってなされた予言と、現代におけるそれらの解釈的行為である。かつて東アフリカ諸社会では、予言者の語ることばは、多くの民衆を動員した抵抗運動を導き、国家形成にも大きな影響を与えてきた。一方で、宗教的指導者の力の源泉である予言そのものやその力については、土着宗教の一形態ないし閉ざされた世界観として、中心的な分析の対象からは遠ざけられてきた。

人びとはどのように予言、すなわち過去からの問いかけに向き合うことで、現代社会で生じるさまざまな問題に対処・応答しているのか。既存の因果論や直線的時間形態を揺るがし、過去/現在/未来、自己/他者の境界を瓦解する力を持つ「予言」とは一体何であるのか。本企画では、2つの東アフリカ牧畜社会、ボラナとヌエルの予言を介してみた「現代社会」とその解釈的行為を比較しつつ、複数のコンテクストや視点が交差する場で形づくられる多元的な「現在」の様相を検討する。

発表概要

大場千景「思考様式としての予言:エチオピア南部ボラナ社会における「予言者の予言」の再意味化現象を事例として」

本発表では、エチオピア南部のサバンナで暮らすボラナと呼ばれる牧畜民の間で伝承されている「予言者の予言」言説を、出来事を認識する際の一つの思考様式として着目し考察する。

ボラナの人びとは、19世紀末から20世紀にかけて自分たちの周りで起きた様々な新しい現象、たとえば国家の台頭、市場経済の広がり、新しい物質の流入、社会関係や慣習の変容等々を、すでに予言者によって予言されていたことなのだとし、その予言の数々を語る。

発表では、「予言者の予言」が具体的にどのようなものなのかを事例とともに明らかにする。「予言者の予言」は、予言らしきものから、意味不明のもの、予言とは一概にはいえないものまで様々である。ボラナの人びとは、それらの曖昧な言葉を巧みに解釈し、「予言者の予言」として再意味化を図りながら、現代社会の出現を説明し、批評する。つまり、実際に「予言者の予言」を生み出しているのは現在にいきる人々自身なのである。人びとは、過去に発話された「予言者の予言」を、その言葉自体と自分たちが直面している現実にインスパイアされながら解釈し、20世紀に起こっていった新しい現象をすでに予見されていた、起こるべくして起こった現象として説明し、自らの認識の枠組みに組み込もうとする。その認識のあり方は、予言という形式をつかった一つの思考のパターンとして考えられるということを様々な「予言」解釈事例とともに論証していきたい。

橋本栄莉「循環する真実と謎:南スーダン・ヌエル社会の予言語りと出来事」

本発表の目的は、南スーダンのヌエル社会で語り継がれてきた予言を事例として、ある信念が維持または再生産されるメカニズムについて検討することにある。19世紀末よりヌエル社会に伝わる予言――奇声を含む歌や予言者の奇妙な言動――は、近年ヌエルの人びとが直面する様々な出来事や経験を捉える方法と密接に関わってきた。ときとして予言が発見されることのないまま語られる予言的出来事の解釈は、出来事の構成そのものにも影響を及ぼすことすらある。本発表が注目するのは、ある出来事の発生にはじまり、語りを通じた予言の発見と成型、解釈間の相互交渉、そして暫定的な真実性の獲得という「予言の成就」としての出来事が成立するまでの一連の過程である。ヌエルの人びとが「それは クウォス(ku?th , 神・霊)である」と表現する出来事(=「予言の成就」)の発生は、複数の出来事間の隠された関係が顕現する場であり、クウォスや祖先と共在している自己や世界の本来的なあり方が回復されてゆく契機でもある。本発表の分析を通じて、等号で結ばれた不均整な出来事どうしの関係が構成する世界のあり方と、堂々巡りをくりかえしているかにも思える予言と出来事の循環構造によって支えられている予言的真実の様相を明らかにする。