第64回
2009年11月28日
特集:「場所・聖性・ツーリズム」
「ポスト世俗化の聖地巡礼―現代西欧キリスト教巡礼の事例―」
岡本亮輔(筑波大学大学院博士課程/学振特別研究員)
【発表要旨】
本報告では、現代フランスの聖地巡礼を事例にして、ポスト世俗化の宗教性について考察する。フランスに限らず現代西欧社会には「世俗化」が指摘されている。20世紀後半以降、教会出席率・聖職志願者数などが劇的に低下した。つまり、制度宗教が規定する宗教のあり方が掘り崩され、宗教的に自律化した諸個人を軸に宗教性の多極化・多様化が生じたのであるが、本報告はこうした現代の宗教状況を〈ポスト世俗化〉と定位し、そこにおいて制度宗教に代わって台頭した聖地巡礼について考察する。
本報告では「新共同体」と呼ばれる諸集団の聖地巡礼に特に注目する。新共同体は第2バチカン公会議の決定によって許容されるようになったカトリック制度内の内棲セクト的な集団であり、それぞれが固有の宗教的淵源を参照しながら様々な運動を展開している。新共同体はネットや新聞紙上などで自らの主催するパッケージ化された宗教プログラムへの参加を呼びかけている。具体的には、黙想、聖書研究、分かち合いなどのプログラムであるが、そうしたプログラムが実際に行われる場所には、実はその新共同体が「発見・再構築」した聖地が数多く含まれているのである。
新共同体の聖地巡礼プログラムのもう一つの特徴が〈大会巡礼〉という新しい巡礼形態の採用である。これはテゼ共同体の地上における信頼の巡礼が先駆けになったものである。数日間から1週間程度の間、共同体のメンバーと参加者全員で行う大規模な礼拝、偶然に任せてグループを作っての分かち合いやワークショップ、ボランティアなどの共同作業などが行われる。そこでは参加者には厳しい規則は課されず、その巡礼とどのように向き合うのかは各自の意思に任されるのである。
新共同体の聖地巡礼プログラムには、教区教会の礼拝では見かけなくなった若い世代が多数参加しており、その意味で、宗教性の再賦活をもたらしているともいえる。しかし、新共同体は2つの点で決定的な流動性を孕んでいる。まず新共同体においては、メンバーシップが不安定である。新共同体のプログラムでは、一部の専従メンバーを除けば、その都度異なるメンバーによって集団が構成される。2点目は、大会巡礼という新しい巡礼形態そのものに由来する。大会巡礼の本質は、通常の教会生活ではありえない大人数を巡礼者として合流させ、積極的かつ意図的に集合的沸騰を実現することにある。特にフランスのようなポスト世俗化社会では、宗教は通常は見えない位相に滞留している。それに対して大会巡礼は従来では考えられないような大規模な集まりを引き起こし、そこで得られた高い集合性と可視性を梃子にして、強い相互作用をもたらそうとする。だが、そこでの集合性・可視性は強度があるがゆえに逆に持続力に欠けており、宗教の刹那的消費をさらに加速させる可能性も孕んでいるのである。
「「反聖地のトポロジー――「岬めぐりの遍路道」と事例として」
浅川泰宏(埼玉県立大学講師)
【発表要旨】
人はなぜ聖地を巡るのだろうか。しばしば「磁場」や「磁力」と形容される聖地の魅力は、巡礼者のみならず多くの研究者の関心も引きつけてきた。だが私は四国遍路の調査を通じて、そのような要素がまるで皆無の空間に注目するようになった。単調で、歩いていればむしろ「退屈な道」において、人は何を体験するのであろうか。室戸岬・足摺岬を中心とする高知県太平洋沿岸の、いわば「岬めぐりの遍路道」と呼びうるこの道は、幹線道R55と重なっており、のどかな小道・山道を好む徒歩巡礼者には不人気である。だが、排気ガスにまみれた単調で果てしない道をひたすらに歩くことは、時に巡礼者に「気づき」をもたらす。そこで体得された人生観は、彼らの巡礼体験のなかで決定的なものであり、その後の生の歩みを方向づけているのだという。
具体的には「岬めぐりの遍路道」を含む23番札所から36番札所までの区間、すなわち「修行」の道場と意味づけられる高知県域の東半分を事例に、現代の徒歩巡礼における「苦行」的体験が創り出す場所の聖性について考察したい。
コメンテーター:門田岳久(東京大学大学院博士課程)
コメンテーター:鈴木涼太郎(相模女子大学専任講師)