第107回

現代人類学研究会<特集:民俗学の方法>

開催概要

【日時】

2016年2月27日(土)15時00分~18時00分

(終了後、会場にて名刺交換・懇親会も予定しております。事前連絡はご不要ですので、奮ってご参加ください)

【場所】

東京大学駒場キャンパス14号館407教室

(地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html

*エントランスカードをお持ちでない方は、テニスコート側の外階段より4階までお越しください。

【登壇者】

  • 加藤秀雄(成城大学民俗学研究所 研究員)

      • 「自治空間としての生活世界と伝承」

  • 金子祥之(東京大学東洋文化研究所 特任研究員)

      • 「農政学者柳田国男の中間集団論」

  • 小田亮(首都大学東京 教授)

      • コメンテーター

発表概要

全体趣旨

民俗学の方法とは何かという問いを立てた時、まず想起されるのは、柳田國男のそれを指して「無方法の方法」と呼んだ吉本隆明の言葉である。柳田の学問=民俗学であるか否かという点については、論者によって様々な意見の違いがあるものと思われるが、少なくともこの両者が無関係であるということはありえない。両者に通底するもの、あるいは断絶があるとすれば、それを検証する作業は民俗学の輪郭を明らかにするものとなっていくに違いないだろう。

吉本は、「柳田の方法」を「数珠玉と数珠玉を「勘」でつなぐ」ようなものであると述べており、そこからは決して「抽象」に至らないとしている。このような評言は「理論の不在」という人口に膾炙した民俗学のイメージ形成にも多大な影響を与えるものであったと考えられるが、このイメージには明らかな誤解がある。柳田には吉本の言うそれとは異なる明確な方法論が存在していたし、民俗学プロパーであれば周知のように、その歴史は理論と方法を巡る論争の歴史でもあった。

仮に現在の民俗学と柳田を含む過去の民俗学との間に乖離が存在するとすれば、それは半世紀以上の時間の中で生じた学問と社会の変化、それに対応するための議論の積み重ねに起因するものであると見なすことが出来、民俗学をめぐる時代状況を反映するものであると位置づけることができる。そして現在においても、その方法を問うことは不断の課題として存在し続けており、多種多様な議論と主張が繰り広げられているのである。

以上のような認識から、本発表では、「民俗学の方法」を巡る議論の歴史と現状を概観しつつ、どのような点に、その独自性が存在するのかということを明らかにしていきたい。特に今回は、その学的な性格を特徴づけるものとして用いられてきた「伝承概念」と、柳田國男による「中間集団論」に注目しながら議論を進めていくことになるが、これらは、現代においてこそ再検討に値するポテンシャルを秘めたものであると発表者は考える。今回の発表と議論を通して、その可能性と有効性をより確かなものにしていきたい。

加藤秀雄「自治空間としての生活世界と伝承」

伝承-良くも悪くも、この概念は民俗学の独自性を示す極めて特徴的なものの1つであると言える。伝承は民俗学の研究対象であると同時に、その方法をも規定するものとして用いられてきた。しかし、その対象・方法を巡る規定は民俗学の独自性を担保するものであると同時に、視野狭窄を招くことにもなったとされ、旧来の伝承概念に囚われた民俗学では現代社会の多様な現実に対応することが出来ないとする批判が、近年、噴出している。

これらの批判が前提とする伝承は、過去-現在における、その連続性/同一性を要件とするものであり、そのような要素が見出されるものばかりを対象化していては、人間の「生活の総体」や「実践」を看過することに繋がると言うのである。

しかし果たしてそのような伝承は、民俗学においても、生活世界においても自明のものとしてありうるのか、実は伝承は、そのような規定とは全く別のものとして定位される可能性があるのではないか。これが本発表における基本的な問いである。

今回の発表では伝承を巡る従来の議論、批判を概観しながら、それをどのように定位し直すことが可能かということについて論じ、その現在的なアクチュアリティを「自治」の問題と関連させながら明らかにしていく。「自治」という問題は、「システム」に囲繞された現代社会においてこそ、問われるべき課題であり、伝承はその基点となりうるものであると発表者は考える。本発表を通して、その回路がどのものであるのかということを示していきたい。

金子祥之「農政学者柳田国男の中間集団論」

本報告では農政学者・柳田国男の中間集団論がどのようなものであったかを明らかにしていく。

現在民俗学では、公共民俗学が主張されはじめている。それは同時代の社会的課題に寄与することを目指した新たな潮流である。こうした潮流は、アメリカ民俗学を中心に、民俗学の分野では世界的な潮流となっている。たしかに日本の民俗学は、あえて「公共民俗学」を名乗らねばならないほどに、同時代的課題とかい離したかたちで知識生産がなされてきたことも事実である。

ところで柳田国男が日本民俗学を成立させるまでには、成功体験ばかりでなく、さまざまな挫折や紆余曲折を経てきたことが知られている。とりわけ民俗学以前の―農政学者としての―柳田国男は、今日の公共民俗学のいう「社会実践」を強く意識していた。そこで本報告では、農政学者としての柳田国男に焦点をあててみたい。

具体的には、この時期の柳田国男の中間集団論に注目をしたい。この時期の柳田の主張には「コミュニティ」「アソシエーション」という枠組みに収まらない、近代化に対応するための中間集団が構想されていることを指摘することになろう。それにより、現代社会で求められている、中間集団の豊富化に寄与することを目指したい。