第106回

現代人類学研究会<特集:施行される法 執行される法>

開催概要

【日時】

2015年11月21日(土)14時30分~18時00分

(終了後、会場にて名刺交換・懇親会も予定しております。事前連絡はご不要ですので、奮ってご参加ください)

【場所】

東京大学駒場キャンパス14号館407教室

(地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html

*エントランスカードをお持ちでない方は、テニスコート側の外階段より4階までお越しください。

【登壇者】

  • ベル裕紀(東京大学大学院文化人類学 博士課程)

      • 「テクストとしての法、その書かれ方と読まれ方:韓国における「外国人勤労者雇用法」を中心に」

  • 池田朋洋(東京大学大学院文化人類学 博士課程)

      • 「スペイン住宅ローン問題における法の執行とローン債務者」

  • 高野さやか(日本学術振興会特別研究員(PD) 東京大学東洋文化研究所)

      • コメンテーター

発表概要

全体要旨

法多元主義の議論は、法をめぐる人類学の議論に大きな影響を与えてきた。初期において、それは国家法を相対化する視点として提示され、非国家法、慣習法や規範といったものに焦点を当てることに寄与してきた。法多元主義は、近年においても「新しい法多元主義」として展開するなど、その視点の有効性は失われていない。現代においては、ローカルな慣習法や規範に加え、「普遍的な価値」とされる人権や民主主義、あるいは執行者なき法としての国際法などが、規範としての法として存在している。

本研究会は、こうした法多元主義という視座を踏まえつつも、国家法の執行という側面に焦点を当て議論を進める。国家法は、強制力、および執行権力の存在によって特徴づけられ、他の規範としての法とは性質の異なるものである。しかし、権力による法律の執行は、一様に行われるわけではない。それは行政や裁判所の裁量権という問題のみならず、法律というものが複数存在し、かつ、ひとつの法律すらも個々の条文によって構成されている―法体系という統一体を成していながら、同時に個々の条文は独立しているという書式に現れる―テクストとしての法律の特徴と無関係ではない。ここで羅列的にではあるが、法律というものの特質を挙げておくことは、今後の議論の助けになる。まず、テクストそのものの特徴として、1)個々の条文には施行令の有無や、罰則規定の有無、あるいは、公務員に対する義務規定と可能規定など、規範としての法と強制力を有する法が混在していることが挙げられる。そして、その執行においては、2)一つ一つの法律は担当部署がある程度決まっており、言うなれば、個々の法律は個別の執行権力を抱えており、そのために担当公務員は自身の担当外の法律には無頓着であるということがしばしば生じるのである。3)法は、それが執行される時、しばしば個別の条文が参照され、それゆえ、他の条文を参照した申し立てなどによって停止されうるが、4)法の執行の開始と停止は、法に定められた時間を有しており、一定の時間が経過すると固定化され、覆すことが困難になる。

法は、テクストとしての側面と執行されるものとしての側面を有しており、前者においては規範としての法と強制力を有する法が混在していて、後者においては個々に別々の執行権力を抱えている。それゆえに、法の執行には様々な隙間が存在する。本研究会で議論の中心となるのは、この隙間である。隙間は、法に刻まれた時間の経過とともに埋まっていく。したがって、社会運動は様々な方法で執行を停止させ、「時間を作る」―法に刻まれた時間を一時停止させ、物理的な時間を一時的に解放する―という戦術によって闘争を行う。あるいは、新たな法を作ることによって、法体系に新たな隙間を作り出すことを画策するかもしれない。こうした法の執行をめぐる議論は、法よりもむしろ、政策研究や社会運動研究が主に扱ってきた分野である。本研究会は、法が執行される状態、つまり政策から議論が始められる、これらの先行研究に対し、テクストとしての法が執行され、現実化される際の齟齬・葛藤に着目しつつ、法そのものの性質に接近することを企てるものである。

ベル裕紀「テクストとしての法、その書かれ方と読まれ方:韓国における「外国人勤労者雇用法」を中心に」

法は、一般に憲法を頂点とした法体系という全体を構成していると考えられ、しばしばそれ自体に国の理念や精神が書き込まれていると考えられている。他方で、その形式においても、個々の条文に分解することができ、引用や参照を容易にしているという特性を持っている。この法の特性は、行政による法に基づいた権力の執行過程において如実に現れる。それぞれの法は、それを執行する行政官を抱えており、各行政官は自身の担当と関連するとされる法に従うことになっている―裏を返せば、担当外の法を熟知しているとは必ずしも言い切れない。また、一つの法には、実効性の強いものと弱いものが混在し、各行政官は、この違いをよく理解し、それに基づいて業務を遂行している。

本発表が、問題とするのはこうした行政官の法の読み方と、活動家の法の読み方の相違である。行政官が法を読むのとは別の仕方で、活動家は法を読み、あるいは法案を書き、代議士を通じて法にしようと試みる。本発表では、韓国で2004年に成立した「外国人勤労者の雇用などに関する法律」(以下、「外国人勤労者雇用法」)を主に取り上げ、法案成立時の議論とそれへの批判を概観した上で、それらの法が活動家らによって、どのように読まれていたかを明らかにする。その上で、実際の運用および、具体的な労働相談事例の解決を通じて、行政官による法の読まれ方が明らかになっていく過程を追っていく。

韓国の労働運動の文脈では、勤労基準法は、テクスト、言うなれば労働者の権利の章典として読まれてきた。それは労働者が学ぶべき自身の権利や労働者とは何かということを知るためのテクストであった。この文脈において、勤労基準法は、入管法などとは異なる位置を占めている。外国人勤労者雇用法も、議員によって法案が作られた時には、移住労働者の様々な権利が書き込まれた章典であり、それはひとつのありうべき世界を記述していたと言える。しかし、それが国会において審議され、修正され、いくつかの条文は実効性のないものとなることで、権利の章典ではなく、執行のための法となっていく。こうして現れた施行される法は、運用の主体が決まり、実際に執行される過程で、執行される法となっていく。

外国人勤労者雇用法に関わる行政官は雇用労働部と、出入国管理局である。同法の制定に伴い、雇用労働部は労働法に基づいた労働基準監督業務に加え、管理・斡旋業務を雇用センターが担い、移住労働者保護のための支援事業を外国人力支援センター(元・外国人勤労者支援センター)に委託している。それに対して出入国管理局は、改正された出入国管理法に基づいた業務を行っている。つまり、それぞれの行政官によって別々の執行される法が存在しているのである。それゆえ、これらの執行される法の間には、テクストとしての法には書き込まれていない隙間が存在するが、その隙間は行政による指針などによって変化している。活動家が個々のケースを解決していくためには、章典としての法ではなく、行政官による法の読まれ方を会得しなければならない。権利の章典としてではなく、それぞれの行政官による法の読まれ方を理解し、その隙間を利用することが可能となるのである。

池田朋洋「スペイン住宅ローン問題における法の執行とローン債務者」

2008年のリーマン・ショックに端を発する経済危機の中、スペインでは住宅ローンの支払い不能に陥る債務者が激増している。その結果として生じたのは、抵当権の行使件数の大幅な増加と、その帰結としての強制立ち退きの発生である。本発表は、抵当権の行使による不動産の強制競売から強制立ち退きに至るまでの一連の法の執行を、債務者が問題解決の為に取る行動との反響関係から考察するものである。

現在スペインでは、債務者の住宅ローン問題の解決を図る社会運動団体「住宅ローン被害者の会(La Plataforma de Afectados por la Hipoteca)」による強制立ち退きの阻止活動が注目を集めている。彼らによる強制立ち退きの阻止が示しているのは、法の執行が物理的に阻止されることで一時的に現実化されないという事態である。しかし一方で、実現しなかった執行は裁判所に戻り、阻止の状況を踏まえた上で新たな令状とともに再度現場に舞い戻る。

債務者にとっては、強制立ち退きの阻止は状況を解決するための時間の確保を意味する。彼らは社会住宅の確保、抵当権の行使そのものへの異議申し立て、債権者である銀行との示談交渉、別の住居の不法占拠など、ありとあらゆる手段を用いて「屋根がない」状況を回避しようとする。こうした債務者の行動を受けてそれぞれ別個の法的な手続きが生起し、各々の時間性とともに進行していくことになるが、その執行は債務者を通して互いに反響し合う関係にある。例えば、行政による社会住宅の提供が見込まれる場合、慣例として裁判所は強制立ち退きをその提供日まで執行しないことが多い。抵当権の行使そのものの異議申し立てが受け入れられれば、強制執行手続きは無効になる。

このように、一見直線的に捉えられがちな法の執行は、その執行過程で債務者の行動が生み出す多面的な現実に直面することで、軌道を変えていく。こうした反響は、法が執行の時間性の中で、判決時とは異なる現実を再び取り込んでいく過程でもある。