第30回
【日時】2004年12月19日
医療における地域と文化
精神障害者のための地域生活支援 -通所授産施設Aを中心とした事例分析-
間宮郁子 (千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程 )
【発表要旨】
精神障害者は、1996年精神障害者の地域精神保健および福祉に関する法律(地域保健福祉法)施行以来、精神病院から退院し、地域社会で生活する障害者として認定されようになった。
従来、精神障害を持つ人々は社会生活を営むための十分な能力を備えていないと捉えられ、精神病院や家庭などの限られた空間で生活してきたが、地域保健福祉法によって、何らかの支援を受ければ社会生活を営むに必要な諸条件を備える人であると法律の上では変化した。精神障害を持つ人々の地域生活の現状を明らかにする試みの一つとして、本報告では生活を構成する主要な要素と思われる福祉施設の支援活動に着目し、参与観察に基づいて分析された事例の特性を述べる。
1997年、通所授産施設Aは母体組織Bの一機関として創設された。弁当作りとその配布を事業化し、現地調査を開始した2000年には1日2回、40食から80食を配送していた。構成員は職員9名、利用者21(9割以上が統合失調症を持つ)名、施設開所時間は平日午前8時半から午後6時まで(営業時間は9時から5時半まで)であった。
事業体としてのAは栄養配分、衛生管理、定刻配布を通して顧客の信頼を獲得しているため、施設の従業員には衛生面への配慮や仕上がりの時間を守ることが原則された。この原則を超えないことを前提に、通所授産施設Aは二重の規範が共有される空間として成立していた。
一方は就労可能な状況に至るよう利用者に謝意復帰への訓練の機会を提供する社会復帰施設としての活動であり、責任感や行動制御などの社会規範を前提とした確実性の高い勤務が可能となるよう、利用者たちが生活を調整してゆくプロセスであった。またもう一方は精神障害者を「生活者」と捉え、本人の意向と身体的・精神的状況に即して利用施設やサービスを産み出す「生活支援」理念の実行であり、社会規範にこだわらず、利用者たちの身体的・精神的状況を肯定的に受け入れた個別的で変更可能な価値観が尊重された。
両者は「健康でその人らしく働く」という施設全体の目標と、「生活支援」の基本的な構成理念である母体組織 の「ごくあたり前の生活」を目指すという標語により、齟齬を来すことなく並存し、共に有意な活動として捉えられていた。
分析を通して、二重規範は福祉施設の日々の活動に含まれる文脈の多次元性と次元転換によって実践されていることが明らかになった。またAの福祉職員たちによって想定される精神障害者の像が特定の性質を備えた人間像に基づいており、一部の利用者たちを周辺的存在として位置付けていた事例も見出された。そこで通所授産施設Aは精神障害者を同等の組織構成員として迎え入れる技術と実践を創出しながら、「健常者」たちが共有している社会生活を営む上での必要条件を正当化し、保持する空間として成立していたと言えるのではないかと考える。
「病気」というカテゴリー ―「肥満」に関する科学的論争にみる医療化のロジック
碇陽子 (東京大学大学院文化人類学研究室博士課程 )
【発表要旨】
アメリカ社会が肥満者増加について抱える問題は、早いうちから肥満をモラルの対象として非難し、医療、政策の対象として取り込んできたにもかかわらず、現在肥満率一位の国であるという点である。肥満のリスクについての科学的研究の量産を通じて、アメリカ社会はますます肥満という現象を医療下・管理下に置く方向に進んでいる。しかしその一方で、肥満者は増加の一途をたどっている。
医療化の過程において、ある現象が「病気」というカテゴリーに入るか入らないかは恣意的なものである。しかし、「肥満は意志の問題である」や、「何を食べようと、どんな体型であろうと個人の自由」といった論争が絶えないのは、生物医学における病気モデル(病因と症状の因果関係)からすると、肥満を病気というにはかなり違和感があり、すんなり了解できないからであろう。医療化を、医療側が操作・制御可能なものを拡大していく過程とするなら、それは、西欧医学特殊のメカニズム(因果関係証明のための論争)と表裏一体である。
本発表では、「肥満は病気か?」という問題意識のもと、肥満に関する科学的論争を見直すことにより、肥満を病気のカテゴリーとして認定することが、医療化のロジックにおいて、いかに複雑で問題を孕んでいるかを明らかにしてみたい。
コメンテーター:山本直美(お茶の水女子大学人間文化研究所特別研究員)
コメンテーター:モハーチ・ゲルゲイ(東京大学大学院文化人類学研究室博士課程)