第25回

【日時】2004年5月16日

修士論文構想中間発表会(3)

韓国社会の『教育熱』に関する一考察

小玉博亮 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】

韓国社会は日本社会と同様に学歴社会であり、教育熱が非常に高い国である。大学入試の季節に、子供たちの合格を願い受験校の校門にあめをつける両親や試験時間に遅刻しそうな学生を運ぶ警察の姿などが、しばしば象徴的に語られる。韓国には、科挙や両班の伝統を文化的背景として学問を重要視する傾向があり、「より高い学歴を得ることが、社会で成功を収めるための一番の近道である」という学問による立身出世のイメージが普及している。このような教育に対する高い関心は、韓国社会を理解する上で重要な側面である。

本研究は、主に教育社会学の領域で扱われてきた「教育熱」の問題について、韓国社会の教育と階層の関連を視野に入れつつ、人類学からどのような視点を加えられるのか考えていきたい。具体的には、大衆レベルにまで広がる高い教育熱が形成された歴史的過程を論じるために、急激に教育への関心が高まった日本による植民地期の教育事情と、解放後の教育事情を取り上げる。

北米アメリカにおける中国系移民の民族ネットワーク ―技術者・企業家を中心に―

【発表要旨】

シリコンバレーというアメリカのIT産業を担う地域において、中華系移民の文化的・民族的要素は色濃い。「最新情報は中華料理店から」 という言葉が表すように、ビジネスを成功させる上では、民族ネットワークを駆使した民族戦略が重要だ。多くの中国人専門家組織 が存在し、テクノロジーの情報交換から、資金繰り、生活面の援助にいたるまで、その活動範囲は広範である。

このネットワークはまた、シリコンバレーと母国中国をも結びつけるものである。実際シリコンバレーに住む多くの中華系移民は、母国とのつながりを保ち続けている し、母国企業へのアシスタントも活発に行っている。一方中国政府は、中国国内から米国への留学生の送り出し、また米国に滞在する技術者の引き抜きという目的で国家的なプロジェクトをすすめている。 シリコンバレーと中国との間には「トランスナショナルな労働市場」が形成されているのである。中華系アメリカ人移民は国境を越えて、資本、技能、技術の流れを容易にする専門的、社会的ネットワークを次々に構築している。このように、移民のエンジニアは、グローバル経済の中で、距離があるが活気あふれた二つの地域を結ぶのに、重要な接点、情報、文化的なノウハウを提供している。

本論文では、シリコンバレーの中華系移民企業家たちに焦点をあてて、グローバル、トランスナショナルといった現代の社会構造・世界経済システムを見つめたい。

病と健康に対する観念および実践の人類学的再検討

霊元安曇 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】

現代において、「健康」と「病」はだれもが強い関心をもっている領域である。健康保持についての情報はいまや出版物をはじめインターネットやテレビからあふれ出る勢いをもって我々の健康に対する意識をさらに高めていく。医療費の増加等といった問題はあるものの、現代的医療システムが確固とした体系を築き、公的医療保険制度もよく整備されている日本は、健康保持や病気治療においてかなりのぞましい状況のもとにあるということができる。にもかかわらず、我々の生活から病への恐怖が取り除かれることはないどころか、健康への希求はますます強くなるばかりである。

しかしながら、「健やかであること」にたいする希求は、現代になって突然たち現れてきたものではない。近代医療制度が人々の生を覆い始めた19世紀アメリカにおいて、まさに現代の「健康ブーム」あるいは「癒しブーム」のごとく非正統派医療運動が隆盛を極めたことはよく知られている。サミュエル・トムソンによって考案された植物治療運動、通称トムソニアズムをはじめ、同毒療法とよばれるホメオパシー、骨相学などの非正統派医療の急速な形成はポピュラー・ヘルス・ムーヴメントとよばれ、土着のものを用いて、身体と環境の自然への回帰を目指すことを特徴としていた。乱立される私立医学校から輩出された経験の乏しいレギュラー・ドクターたちに不信感を抱いた人々は、素人による伝統的な治療を見直そうというポピュラー・ヘルス・ムーヴメントに急速に傾きはじめ、さらに同時代の奴隷解放運動や女性の参政権を求める運動などと呼応しつつ、アメリカ全土にわたって最盛を極めた。

これらの運動は、アメリカ社会史の領域において数多く論じられてきた。しかしながら、非正統派治療運動にかんするほとんどの研究が、近代化の覇権への抵抗という表面的な議論へ帰結してしまい、当時の民俗医療における実践と観念の多様で複雑な絡み合いを十分に検討し考察するには至っていない。本論では、19世紀アメリカを駆け巡った非正統派治療運動を考察の対象とし、共同体レベルでの民俗医療の実践を重視した上で、身体をめぐる多様な認識と実践のあり方を人類学的に再検討することを目的とする。そして、歴史に位置づけられる民俗医療の営みに目を向け、そこに込められた人々の世界や人の生の全体性を把握することによって、現代における「健康」あるいは「癒し」という社会現象の意味や特異性がいかなるものであるかについての客観的分析を試みるものである。