第4回
【日時】2002年3月15日
7 - 8世紀における古典期マヤ王朝の東方への拡大 ─中米ホンジュラス共和国西部コパン県の考古学調査から
長谷川悦夫 (東京大学大学院文化人類学研究室博士課程)
【発表要旨】
ホンジュラス西部のコパン遺跡は、代表的なマヤ文明の遺跡である。近年コパンでは考古学と碑文学の研究の進展がいちじるしく、あらたな発見やマヤ文字碑文の解読があいついでいる。それらの研究成果から、この地には5世紀はじめに世襲制の王朝が成立し、9世紀はじめに滅亡したことがあきらかになった。本発表では、7-8世紀に焦点をおいて、コパンとそこから約60キロ東に位置するラ・ベンタ谷とフロリダ谷の遺跡群の関係を検討し、コパン王朝がいつごろ、どのように東方へと拡大していったのか、あるいは拡大しなかったのかという問題を論じる。これはある時代の局地的な歴史の再構成にとどまらず、古典期マヤ王国の政治支配の構造とはどのようなものだったのか、旧大陸の諸文明がはやい時期から相互に交流していたのに比べて、新大陸の古代文明はなぜ孤立的だったのか、という問題にたいする洞察をもあたえてくれる。
文書と系譜意識─黒タイの「ムオン伝承」─
樫永真佐夫 (国立民族学博物館助手)
【発表要旨】
黒タイはベトナム西北地方の盆地を中心に居住し、水田農耕を主生業とする。ベトナムにおいては、白タイとともにターイという公定民族の地方集団とされている。白タイ、黒タイはともに広義のタイ系民族に分類されながら、仏教を受容していないこと、父系クランを形成すること、独自の文字を持つことを特徴としている。ターイは現存するものだけでも数千の文書を伝えてきたが、とくに黒タイが居住する各盆地には、「ムオン伝承」と題された文書が約30冊伝わっている。現在伝わる「ムオン伝承」写本はほとんど20世紀初頭に記述されたものである。ベトナム民主共和国やベトナム社会主義共和国成立以降、ターイの歴史社会資料としてベトナム語にも翻訳、紹介されてきた。本発表では、黒タイの父系出自との関係から「ムオン伝承」について分析する。「ムオン伝承」の内容的特徴、記述の時代的背景、人々の社会生活との関わり、について報告する。本発表で、文書と社会の関わりという問題についての考察を深めたい。