第86回

2012年7月16日(月・祝)

<特集>

政治人類学/紛争研究におけるエリート集団研究の可能性:

フィジーの事例から

今回は、ドイツ出身で、現在一橋大学に滞在されている 若手人類学者、ドミニク・シーダーさんをお迎えし、南太平洋の島国フィジーで続く政情不安に対する人類学的アプローチについてご発表いただきます。人類学 において比較的新しい研究対象としての近代的エリート集団(政治家、軍事エリートなど)に注目するシーダーさんのご報告は、地域的限定を超え、人類学/政 治学の境界を横断して現代世界を人類学的に考察する上での刺激的な提案と言えるでしょう。またコメンテーターには、同じくフィジーをフィールドとし、現地の社会運動や政治紛争についてご研究されてきた丹羽典生さんをお迎えします。

多数の方のご参加をお待ちしております。

オセアニア人類学におけるエリート集団研究:フィジーにおける政治史、「クーデター文化」、エリート言説

“Studying-up” in Pacific anthropology: Political history, coup culture and elite discourse in the Fiji Islands

ドミニク・シーダー(日本学術振興会外国人特別研究員/一橋大学大学院社会学研究科平和と和解の研究センター研究員)

*発表は英語で行われます。

[要旨]

本報告では、Laura Nader(1972年)による、人類学において「もっと上の方まで研究するstudying-up」[一般民衆だけでなく、政治家や上級軍人など近代的エリート集団をも研究対象に含める]ことへの誓いを手がかりに、フィジーで現在も続いている政治的不安定と、いわゆるフィジーの「クーデター文化coup culture」を、エリートの言説およびエリートによる政治的プロジェクトとして分析する。

1970年の独立以来、フィジーは4回のクーデターと何回かの憲政上の危機を経験している。もっとも最近の軍事クーデターは2006年12月 に発生した。フィジーは現在、暫定政権によって統治されているが、この政権は、憲法を廃止した上で、汚職、縁故主義と人種差別主義の一掃運動を開始した。 しかし、今日に至るまでこの暫定政権は、いくつかの自由権を制限し、国内の批判派や政治的反対派に沈黙を強いている。フィジーは現在、オーストラリア、 ニュージーランド、あるいはその他の島嶼諸国など太平洋の近隣諸国から政治的に交流を断たれている。軍部による政権奪取から6年経った現在、「クーデターを一切終わらせるためのクーデター」(Fraenkel, Firth and Lal 2009)であったはずのものは、それ自体が政治的不安定の原因になっている。

これまで多くの研究者が、フィジーにおける一連のクーデターの起源を、植民地 主義の遺産である「人種」間の分断(先住民系フィジー人/インド系フィジー人)や、フィジー人もしくはインド系フィジー人のコミュニティ内部における民族 内の分断と対立、あるいは現在成長中の都市コミュニティで顕著な階級間の分断と関連させて論じてきた。ごく一部の論者は、これらの単純な分析を超え、「人 種、階級、慣習color, class, and custom」を、現在のフィジーの政治的不安定をともに形成している社会的分断として問題にしてきた。

しかし、これらの「社会的分断のモデル」が、もっぱら民族上、親族上、そして 階級上の区別を横断するネットワークによって政治的景観が構成されているフィジーという国において、生きられる政治的現実にどのように適合するか、という 問題は未解決にとどまっている。本報告では、民族間、民族内および階級間の分断はフィジーに明確に存在するが、それらのみではこの国の政治的対立を説明す ることができないと主張する。事態ははるかに複雑であり、政治的エリートの行為主体性agencyを無視した分析では誤った解釈に陥ってしまうのである。

本報告では、現在通用している、フィジーには「クーデター文化」というものが あるのだという政治的言説を手がかりに、フィジーの政治史と社会的分断を再検討する。本報告は結果的に、学問分野間の境界を横断して「上の方まで」研究 し、政治的エリートおよびエリート体制に人類学的に取り組むことを訴えるものである。

コメンテーター:丹羽典生(国立民族学博物館准教授)

司会:里見龍樹(東京大学大学院総合文化研究科)