第49回
2007年7月28日(土)
特集:開発と生活リスク
排除する共同体、連帯する共同体:エチオピアの農村社会におけるHIV予防運動と感染者のエンパワーメント
西 真如(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科特任助教)
[ 発表要旨 ]
私たちはHIV/AIDSと社会との関係について考えるとき、互いに矛盾する(ように思われる)二つの問題があることに気づく。感染を引き起こすウイルスは、共同体の存続を脅かすリスクであり、人びとから隔離されねばならない。私たちはその前提を受け入れつつ、ウイルスとともに生きる人びとの社会的な(再)統合が可能であるような、inclusiveな共同体のあり方について考えることになる。
本発表では、エチオピア南部のグラゲ県で、地域住民が取り組んでいるHIV/AIDS予防運動を紹介する。エチオピアは1990年代の前半に、都市におけるHIV感染率の急上昇を経験し、近年では農村への感染拡大が懸念されている。そこでグラゲ県の農村では、伝統社会のリーダーである長老たちが全面的に協力して、感染予防に取り組んでいる。同県では、婚姻は慣習法にもとづき、長老によって承認されることが重要だと考えられているが、最近では多くの長老たちが、結婚を希望する男女に対して、HIV検査を受けるよう指導するようになった。他方でグラゲ県では、HIVとともに生きる人々の団体が設立され、非感染者との関係を変える試みも始まっている。また非感染者の側からも、感染者との連帯を模索する動きもあるのだという。グラゲ県で生活する感染者と非感染者、それぞれによるイニシアティブが抱える問題を紹介しつつ、両者のあいだにinclusiveな社会関係が築かれてゆく可能性について考えたい。
なお発表者は、グラゲ県のHIV問題については、2007年1月に予備的な調査をおこなったばかりであり、本発表は詳細なフィールドワークの報告というよりも、この問題に取り組んでゆくにあたってどんな風に考えたらよいか整理するための、いわばリサーチ・プロポーザルにあたるものであることを、お断りしておきたい。
"安全な水"供給と開発援助のジレンマ:バングラデシュ砒素汚染対策プロジェクトの事例から
松村直樹(名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程)
[ 発表要旨 ]
環境や人間の安全保障などといった観点から、今日地球的課題となった「安全な水の供給」という命題であるが、今回の報告で事例として取りあげるバングラデシュで進められてきた水供給政策は、90年代にはおよそ95%の農村地域に「安全な水」を供給するまでになり、この分野における成功物語の一つとして語られてきた。
しかし、この成功物語は1993年、バングラデシュ北西部で発見された地下水の砒素汚染問題へと帰結し、「安全な水」は人々の手から再び零れ落ちた。世界銀行をしてWater Miracleと言わしめたほどの成功神話の崩壊は、砒素汚染が全国規模に広がりを見せるのと同時に、これまでの政策によって地下水に大きく依存する生活様式がバングラデシュにおいて細部にまで作り上げられていたことを鮮明に浮かび上がらせた。つまりそれまで「安全」であったものが、突如としてこれからはもはや「安全ではないかもしれない」状況になり、しかしながらその「安全ではないかもしれない」水なしでは生活が成り立たない、という状況に陥ってしまったのである。そうした影響から現在も有効な対策が打たれているとは言い難く、解決に向けて、ドナーや政府、NGOの苦悩は続いている。
本報告ではこうした文脈において語られる「安全な水」とは一体何なのか、を主題に据え、新しい知の生成過程とそれらが入れ替わっていく過程を、開発の人類学という観点から、報告者自らが関わってきたバングラデシュ南西部ジェソール県における砒素対策プロジェクトを事例に論じたい。まず1)バングラデシュにおける砒素汚染問題の概要について整理した後、2)「安全な水」観が作られていく歴史的な過程を政策の側面から明らかにする。また3)「安全な水」供給のために実施されている対策プロジェクトが現場や住民レベルでどのように受容されているかを多所的な現場の事例から考察する。特に生活リスクへの住民の対応と、安全な水供給のための開発援助とのあいだに見られる様々なジレンマに着目することにより、リスク観や未来の捉え方の違いがどのような形をとって顕在化しているのかを明らかにすると共に、開発に関するリスクと未来の関係について考察する。
コメンテーター:石井洋子(聖心女子大学専任講師)