第16回

【日時】2003年5月18日

修士論文構想中間発表会(2)

『伝統舞踊』考:フラにおける身体

古賀まみ奈 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】

2000年に日本でフラの専門雑誌「Hula le’a」が創刊され現在では10万部を越す売り上げとなっていることが端的に表すように、この数十年の間に日本においてある一定数のフラの愛好者層が急速に形成されてきている。

このフラのグローバリゼイションの動きは、韓国・グアム・北米・イラクといった国々にも及び、フラの最大の祭典であるメリーモナークという競技会には全ハワイ州にTV中継される他、世界中から人々が観戦に訪れ、またそれらの関連商品をめぐってある種の経済効果が起こっている。フラは規定性の高い踊りであり、ハワイの人々にとって民族的アイデンティティの表象の一手段として強く意識されているものである。

本論文で扱うのはフラを愛好する日本人がそれらを身につけるにいたるプロセスと、フラの習得の場/観覧の場で実際に何が行われているのかを、愛好者のインタビューを中心に解き明かそうとするものである。日本人愛好者の多くは女性であり、時に「本物のフラ」/ハワイ文化の摂取を希求する傾向が顕著である。こうした動きは、日本人とハワイ人との経済力を背景にした力関係や、欧米人による入植・布教・弾圧・オリエンタリズム的志向の産物としてのフラの歴史的背景と無関係ではない上に、フラの踊りそのものにおいてセクシャラスな表現が分かり易い形で表現されていることとも関連していると思われる。人類学という学問分野が「踊り」を研究対象としてどのように扱いうるのかという問題を基調として意識しつつ、セクシュアリティー/ジェンダー規範の顕在化する場として踊りをとらえてみたいと考えている。

脱植民地都市上海の複合社会現代

徐き (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】

上海は中国経済の中心都市として、それ自体特殊な性格をもっているようである。それは、上海という土地そのものが特殊な歴史的、文化的、社会的要素をもっているからである。さまざまな外因、内因の交互的な影響を受けたからこそ、今日の上海の特別な事情があると考えられる。

本論文で指摘したい問題は、上海人の植民地経験とその社会・経済・文化に対しての衝撃や影響、さらに特別な「複合性」の生成であり、またそれが上海における現在の社会・経済・文化的側面に反映されていることについて述べたい。つまり、上海における植民地歴史の深層的変容的意味を掘り出し、それが社会集団・労働構造・文化変容にどのような影響と刺激を与えているか、という問題を展開する試みをしたいと考えている。その上で、上海のポストコロニアリズムの現状と問題点を探究し、グローバリゼーションの再検討も行いたいと考える。

本論文を論述する方法については、歴史(植民地史)、都市社会(移民問題、Regionalism問題、複合社会論)、グローバリゼーション論などの先行研究を参考する上、歴史的展開と現状の深層的分析を同時に進行し、他の典型的複合社会との比較に加え議論していきたいと思う。内容を簡単に説明すると、「外地人」(ほかの地域の中国人)の上海への移民歴史は、上海植民地時代の外国人移民歴史と同じ段階で発生し、上海の都市化した道で大きな役割があっただけではなく、現在でも上海社会・経済・文化の舞台で活躍している。上海には「上海人」、「外国人」、「外地人」という三つに分かれた社会集団がある。それに応じて、経済的には労働組織や企業内部で階層化が発生して、文化的には三つの集団の手により構成された奇形な「海派文化」が生み出された。

以上のさまざまな側面から具体的に議論を展開し、上海という注目されている都市の真実を反映し、その都市の性格を描きたいと考えている。

琉球処分は人種問題か-日中琉および欧米における問題構成の比較研究

與那覇潤 (東京大学大学院地域文化研究専攻修士課程)

【発表要旨】

80年代後半から学問分野を問わず人文科学・社会科学で流行したナショナリズム論は、結局、数学的なまでに高度に抽象化された一般論と、具体的な「民族」が語られる場面を対象とした膨大な量の個別研究との有機的な結合を十分に達成したのであろうか。昨今の研究動向を見る限りでは、それが果たさないままに、なし崩し的にグローバリズム論や「帝国」論へと論点が移行しているようにも感じられる。

本研究では、日本史および東洋史上でよく知られた「琉球処分」という場面において、東アジアの近世地域システムと、近代西洋に端を発する近代世界システムという二つの異質なシステムがどのように接合されたのかについて、特に「人種」の認識を論点として扱うものである。琉球併合とは日本による琉球人の国民化であるといった事後的かつ単線的な見方ではなく、むしろ「人種」や「民族」といった人間集団を意識化し、その性質を論ずるような問題構成自体が発生する条件がいかなるものであるのかを、同時代の人々の認識のなかから問うことを目指す。

具体的には「翻訳」を媒介した日本・中国(清国)・琉球、欧米諸国との間の情報流通の諸相を歴史学的に分析することで、「琉球処分」というひとつの出来事がそれぞれにどのような問題構成を取るかを観察する。その上でそのような史料研究が人類学的な議論とどのように対話可能なのかについても考えることを目的としたい。