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第108回

現代人類学研究会<特集:存在論的転回の行先>

開催概要

【日時】

2016年3月8日(火)14時00分~17時30分
(終了後、会場にて名刺交換・懇親会も予定しております。事前連絡はご不要ですので、奮ってご参加ください)

【場所】

東京大学駒場キャンパス14号館407教室
(地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html

【登壇者】

  • 久保明教(一橋大学社会学研究科 専任講師)
    「存在論的転回の行先:述語的ネットワーク論に向けて」
  • 古川不可知(大阪大学大学院 博士後期課程)
    「線から道へ:ティム・インゴルドとエフェメラルな天候世界の存在論」
  • 森下翔(京都大学大学院 博士後期課程)
    「「科学と呪術」再考」
  • 里見龍樹(学振特別研究員 一橋大学)
    コメンテーター

発表概要

久保明教「存在論的転回の行先――述語的ネットワーク論に向けて」

 「存在論的転回(Ontological Turn)」と呼ばれる、どこか怪しげなアプローチが提唱されはじめてから既に10年近くが経過している。初期の新味は薄れ、定型化された理解と批判が散発的に飛び交う一方、「存在論」への着目が科学技術社会論や大陸系哲学をはじめとする異分野と現代人類学をつなぐ媒介として良かれ悪しかれ加熱しているようにも思われる。
 本特集は、表面的な熱狂と揶揄から距離を取り、存在論的転回の学問的系譜と内的多様性を精査した上で、三人の発表者の事例分析に基づく議論とコメンテーターとの討議を通じて、「転回」の内実とその行先について検討するものである。
 特集全体のイントロダクションを兼ねた本発表では、まず存在論的転回の主な学説史的背景として(1)科学技術論、(2)在来知研究、(3)ポストモダン人類学の三つの領域を位置づけ、それぞれの学問的系譜における問いと方法論と分析指針の異同について簡潔に検討する。(1)に関わる森下発表、(2)に関わる古川発表に対して、本発表では(3)ポストモダン人類学からポストプルーラル人類学に至る系譜において問題化されてきた、異なる存在論的布置を生きるアクター同士の関係性に焦点を当てる。将棋電王戦における棋士と将棋ソフトの相互作用に関する筆者の事例分析に基づいて、こうした相互作用が「ない」が「ある」に変換される否定形の関係性を持つことを指摘し、否定形の関係性をとらえる方法論として抽象的観念を述語的ノードとして含むネットワーク・モデルが有効であることを示したうえで、その射程と課題を明らかにする。
 
参考資料
久保明教 2015 「知能機械の人類学――アクターネットワーク論の限界を超えて」『現代思想』43(18): 88-99、青土社。
久保明教 2016 「方法論的独他論の現在――否定形の関係論へ」『現代思想』44(5): 190-201頁、青土社。

古川不可知「線から道へ――ティム・インゴルドとエフェメラルな天候世界の存在論」

 本発表の目的は、変転する環境世界を「天候世界weather world」と捉えるティム・インゴルドの「存在論」を取り上げ、いくつかの事例を比較しつつその可能性を検討することである。本発表では在来知研究のなかでも、環境中のローカルな身体的実践を扱うものがとりわけ存在論的転回に関わると規定し、以下三つのステップを取って議論を進める。
①インゴルドの思想的変遷の跡付け
 狩猟民研究からスタートし、ギブソンの生態心理学に着想を得て人類学における生態学的アプローチを確立したインゴルドは、やがてドゥルーズの影響を強く受け、独自の生成の人類学を展開してゆく。ここで我々が生きる環境世界は、安定した面surfaceが存在せず、媒質に浸されて流動する「天候世界」として定式化され、あらゆる事物はこの流れにおける線の結び目knotとして生成変化すると論じられた。こうして環境認知から包括的な生成へと向かう彼の思考は、近年の思弁的実在論などと共鳴し合うようになる一方、固有の認知主体であったはずの身体の位相が曖昧化してきてもいる。
②ポスト・インゴルドの人類学者による議論の検討
 こうしてインゴルドは全体的かつ思弁的な志向を強めるようになり、また彼自身は生成のメカニズムを論じつつも、その具体的な帰結については多くを語らない。自己完結の気味のあるインゴルドの人類学を生産的に乗り越えてゆくため、本発表では特にEduardo Kohn とRane Willerslevの著作を取り上げて批判的に検討し、ローカルな文脈における身体的な実践への着目を取り戻すべきことを主張する。
③「道」の存在論
 以上を踏まえ、報告者自身の調査からネパール山間部における「道」をめぐる事例を提供する。エベレスト地域の高山中における実践のなかで、自己の身体をも含み込んだアレンジメントとして立ち現れるローカルな「道」のありようを例示し、固有の形質的・文化的・歴史的背景を持った身体への着目が、天候世界との相互作用のなかで一時的に繋ぎ留められては消失してゆく事物のより具体的な存在様態を記述可能とすることを示す。

森下翔「「科学と呪術」再考

 古典的な人類学においては、妖術や呪術はしばしば科学との比較において問いの対象となってきた。フレイザーにとって呪術はまがいものの科学であり、エヴァンズ=プリチャードにとって妖術は科学的ではないがゆえに西欧人にとっての謎を生み出すリソースであった。しかし近年では、科学は科学の、呪術は呪術のそれぞれ固有の形式を持つという前提の下、両者の比較への興味が薄れ、それぞれの領域が個別に研究される傾向にある。本発表は科学と呪術の比較という問題系をふたたび興味深いものとして提示することを試みるものである。
 科学人類学者は従来の知識社会学を批判しながら、諸対象の間に空間的な距離に依存しないような客観的な変換可能性を構築する過程や、実験という名のもとに存在者にさまざまな属性が帰責される過程をラボラトリーにおいて見出してきた。知識社会学の批判的検討をつうじて得られた独特の関係論的概念装置や、ラボラトリーの経験的探究により得られた知見を「科学」のみならず「人間」「世界」「社会」「文化」といった近代を構成する諸概念の批判的検討へと供することによって得られたさまざまな視座は、「存在論的転回」と総称されるさまざまな成果のうちでも人類学にとってもっとも重要なもののひとつであろう。
 本発表は関係論的視座に基づき経験的事例を批判的に分析することをつうじて、「科学」と「呪術」という概念間の関係を批判的に検討することを試みることで、そうした概念布置の地殻変動の一端を担うことを志すものである。具体的には、科学と呪術と呼ばれてきた領域がともに「不可視の存在」との相互作用という契機をもつ点に着目し、実践を「人間と不可視の存在とのあいだに関係を創り上げる試み」として捉える視座から分析する。発表者の調査対象である地球物理学の実践と、既存の民族誌における神霊や妖術に関する分析を行い、人間と不可視の存在のあいだの関係構築実践の通科学-文化間比較についての試論としたい。
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