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第93回

2013/05/07 4:27 に 院生会2 が投稿   [ 2015/08/05 0:33 に 院生会1 さんが更新しました ]
(終了しました)
【日時】2013年5月18日(土) 13:00開始
【場所】14号館407号室 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html >
*エントランスカードをお持ちでない方は、テニスコート側の外階段より4階までお越しください。また、研究会終了後に同会場にて懇親会を予定しております。

<医療人類学特集>


日本の精神科医療における薬の滲入と医師患者関係


吉田勝也
(北里大学)

[発表要旨]
日本における精神科医療の歴史は比較的短く、50年くらいと考えられる。初めて抗精神病薬1)が日本の市場に出たのは昭和30年であった。その後、次々と向精神薬2)が発売された。平成8年以降、新しいタイプの向精神薬が次々と世に出て、臨床現場の隅から隅まで滲入してきた。このことは、医師患者関係にどのような影響を及ぼすのだろうか。医師患者関係に関して、医療人類学の文献を紐解くと、医師患者関係の不平等、専門的知識の圧倒的不均衡、患者の主観的経験の収奪といったことが論じられていることがわかる。Arthur Kleinman(1988)は、患者の病い(illness)の語りを、医師が疾患(disease)に翻訳してしまうことの弊害について述べている。製薬会社の医師に対する薬の売り込みは激しさを増し、かつ巧妙になっている。医師による病いの疾患への翻訳、その結果としての処方行動は強く促進されている。一方、患者は薬を求めて受診する。患者の語りに耳を傾けると、それは病いの語りではなく、疾患の語りになっていることに気づく。語りの時点で疾患に翻訳されている。病いの疾患への翻訳、その結果としての処方という視点からみると、向精神薬の効果に関するエビデンスがないにもかかわらず、医師と患者は同じ方向を向いている。この事態を踏まえると、精神科における医師患者関係は、医療人類学で今まで論じられてきたものとは異質なものがあるかもしれない。本研究では、臨床現場における演者の経験や観察を振り返ることにより、日本の精神科医療における薬の滲入と医師患者関係の関連を検討したい。そして、日本における現代精神科医療の本質とあるべき機能を少しでも明らかにしたい。

1) 抗精神病薬:統合失調症などの精神病の治療薬 
2) 向精神薬:抗精神病薬、抗うつ薬、抗不安薬など中枢神経に作用する薬物の総称

言葉と出来事:スリランカ土着の伝統医療パーランパリカ・ヴェダカマの「語らない」診療から単独性と反復を考える

梅村絢美(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

[発表要旨]
スリランカ土着の伝統医療パーランパリカ・ヴェダカマの診療や継承においては、言語発話に関する特異な禁忌が存在する。たとえば、患者が医師に病状を口頭陳述しなかったり、医師が診断結果を患者に告げなかったりすること、継承においては薬の製造法や薬草名が暗号化されたり、ジェスチャが用いられたりすること等が挙げられる。発表者はこれまで、こうした「発話の忌避」の背景を、人間の声音が超自然的存在に働きかけ、病状を悪化させるという現地社会における発話をめぐる信仰に求めてきた。しかし、パーランパリカ・ヴェダカマの継承において、薬の製造法や薬草の名称が暗号化されたり、ジェスチャが用いられることは、こうした理由からだけでは説明できない。
そこで本発表では、言語表象と出来事の単独性(代替不可能性)の議論を参照しながら、治療に用いられる薬草を言語表象(呼称)することが、薬草の治療効果を減退させるとされているのではない
か、という着想のもと、パーランパリカ・ヴェダカマの診療において認められる「発話の忌避」について考察していく。そして、「語らない」ことから見えてくる、人と人とのつながりについて参加者とともに考えていきたい。