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第48回

2007年7月7日(土) 

歴史の現‐在/現‐在の歴史――ニューヨーク・ハーレムのアフリカ系アメリカ人ムスリム・コミュニティにおける歴史の語りとアーカイヴ

中村寛(一橋大学大学院社会学研究科博士課程)

[ 発表要旨 ]
本報告は、最も表面的には、アフリカ系アメリカ人ムスリムの不満感(frustration)や怒り(anger)の表出に関する報告である。一人のアフリカ系アメリカ人ムスリム男性の語りと彼をめぐるエピソードに焦点を当て、それをより一般的なアフリカ系アメリカ人ムスリムの語りと重ね合わせ、比較・対比する。そうすることで、彼個人の語りの特殊性だけでなくアフリカ系アメリカ人ムスリムのより一般的な語りとの共通性をも視野に入れつつ、彼もしくは彼らの不満や怒りを捉えたい。会って話をするたびに彼は、「白人の国アメリカ」に対してのみならず、自らもその範疇の成員であるはずの「ハーレムの住民」や「アフリカ系アメリカ人」、そして「ムスリム」に対しても、強い不満を口にした。時に「暴力的」だとも受け止められ得るそれらの「強い」言語は、確かに、「白人」や「アフリカ系アメリカ人ムスリム」といった特定の集団に対して向けられている。だが、それは必ずしも「暴力的な行為」へとは結実(materialize)せず、彼とその不満の対象との間に単純で一様な敵対関係があるわけではない。不満を個人的な性格や心理・精神的要素に還元しないのであれば、こうした数々の強い不満、それを他者に向けて発話するという行為、語られた内容と実際の行為の「ズレ」、それらを支える、「過去」に対する態度のあり方は、どのように捉え、解釈することが可能だろうか。彼(彼ら)が、どのような仕方で、何(誰)に対する不満を語るのか、そしてそれらの語りの内容はどのようなものとして捉えることができ、そのことが私たちに何を教えてくれるのかを描き出し分析するというのが本論の第一の課題となる。

本報告は、同時に、アフリカ系アメリカ人ムスリムの歴史においてアーカイヴ(archive)というものの存在が占めている位置を明らかにしようとする試みでもある。ここでのアーカイヴとは、文書記録だけでなく、絵や写真、映像、音声記録等を含めてより広く、「(理論的には)共有可能な何か」を指している。なぜアーカイヴなのか。それは、アーカイヴは記憶・保存のための装置であるだけでなく、何を、どのような仕方で記憶し、忘却するのかを方向付ける一つの様式であると考えるからであり、まさにその理由によって、アーカイヴというものがある特定の歴史記述(historiography)――とりわけナショナル・ヒストリー――を構築する際に不可欠な要素になっていると考えるからである。また、アーカイヴに注目する理由は、本報告が間接的にではあれ、以下のような疑問を念頭に置いているからでもある。すなわち、なぜとりわけ1990年代以降、アフリカ系アメリカ人ムスリムの研究書がいくつも出版されていくなかで、奴隷として米国に連れて来られた者たちの少なくとも数十パーセントがムスリムであったことを証拠立てる「記録」が「発見」されたのか。なぜコロンブス以前にアフリカのムスリムが米国にいたということを証明しようとする研究が出てくるのか。また、なぜネイション・オブ・イスラム(NOI)のメンバーたちは、人間の元々の姿、始原の姿という意味で、自らを「オリジナル・マン(original man)」だと繰り返し語るのか。そしてこの種のNOIの主張が、1990年代以降の米国において白熱した多文化主義論争のなかで、なぜ「自民族中心主義」ということにされ、論争の的になり、それと同時に、「黒人中心史観」あるいは「ヨーロッパ中心史観」といったものをめぐって時にはヒステリックな反応が起きた(起きている)のか。本報告では、これらの疑問を念頭に、歴史の語りとアーカイヴ、そしてそれらを支える「過去」への態度の三者の関係を考察したい。