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第45回

2007年1月27日(土)

特集「人類学的リスク研究の開拓」

人類学からリスクを見る

木村周平(東京大学大学院博士課程)

我々の社会生活は、実にたくさんのリスクに取り囲まれている、ように見える。それは考え出せばきりがないので、ふと目を逸らしてしまいたくなる。あるいは逆に、別に現代社会だけでなく、いつ・どこであれ生というものには多くのリスクがつきまとうのかもしれない、とも思える。リスクはこのように曖昧で、かつどちらかといえば気分を暗くさせる類のものだといえる。それはあるレベルでは認識の問題であり、あるレベルでは行為の問題である。
本発表では、すでに我々の生やものの見方にリスクというものが深く入り込んでいるという認識のもと、次の3つのことを行う。1)リスクという概念を整理すること(そこでは「狭義のリスク/広義のリスク」という言葉遣いをする)、2)既存の議論をごく簡単に紹介しつつ、リスクというテーマが人類学とどうかかわるかを素描すること、3) 2)の具体例としてトルコの事例を示すこと。以上のことを通じて、リスクという問題が様々なフィールドに取り組む人類学者の議論のアリーナのひとつとなりうることを示したい。


生殖医療技術の適用にみる不妊の医療化とリスク―医師の語りを中心に―

松尾瑞穂(総研大博士課程/学振)

不妊治療はしばしば「一度乗ったら途中下車できない列車」のようだといわれることがある。不妊(子どもがいないということ)の医療化とは、「受胎」という不確定性に彩られた行為を生殖医療技術によって数値化しコントロールする、すなわちリスク化していく過程であるといえる。そこでは生殖医療技術はリスク化の手段であり、日常的に不妊治療にたずさわる医師たちはその主要なエージェントであるともいえる。しかし主にアメリカや西欧、日本などを事例としてきたこれまでの不妊の医療化をめぐる研究と異なり、本発表で取り上げるインドにおける医療のあり方として特徴的なのは、近代医学にあたるアロパシーだけではなく、インドの伝統医療であるアーユルヴェーダ、アラビア医学のユーナーニ、ドイツで誕生した同種療法とよばれるホメオパシー、南インドを発祥地とするシッダなども、政府によって「制度的医療」として認められており、各医療体系の医療者は、国家資格をもつ「医師」として治療に従事することが可能である、という点である。インド的な文脈で不妊の医療化を考える際には、こうした特異点をふまえ、各医療制度の医師たちが不妊および生殖医療技術に対してどのように対処しているのかを明らかにする必要があるだろう。そこで、本発表では、1)インドにおける生殖医療技術をめぐる現状を整理し、次に2)発表者の調査地であるインド・マハーラシュトラ州プネー(人口450万)および近郊農村で不妊治療にたずさわる医師集団の語りを分析する。それにより、インド社会における生殖医療技術の適用を通して見えてくるリスクの多様な現れ方を検討したい。


リスク化・動物化・再魔術化-リスク化社会における呪術と災因論

東賢太朗(宮崎公立大学)

最近、世界はリスク化している。そういわれると、何だかよくわからないけれども、何か大変なことが起っているんだという気がしてならない。では、世界がリスク化するとは、一体どういうことなのだろうか。リスク化すると、これまでとは何が変わるのだろうか。そもそも、僕たちはリスク化という呼びかけに応えるべきなのか、また応えるとしたらどのように応えるべきであろうか。そんな問いに対して、文化人類学(者)は、何ができるのだろうか、できないのだろうか。  
リスク社会論者にとって、リスク化とは後期資本主義において特徴的なものだという。リスク社会(論)への批判には、リスク化が社会システムにおける信頼よりも不安を増大させ、我々から個としての生の意味を奪い去り、自己責任をうながす虚偽意識として機能しているといったものがある。そういった、リスク化における喪失の物語(物語の喪失?)を、同じく後期資本主義の特徴である「動物化」としてひとまずとらえてみたい。その上で、喪失と同時に進行する生成の物語として、これまた同じく後期資本主義社会に特徴的であろう「再魔術化」について考えてみたい。それならば、呪術や災因論についての人類学的な知と想像力を発動することは可能だろう。フレーザーやE=Pの古典的業績について、あるいはリスクと人類学についてほぼ唯一取り組んだメアリ・ダグラスについて、また近年のスピリチュアリティ研究やオカルト的近代論について、僕らが運用しうる資源は豊富であるから。ではそこに、リスク化に抗する、あるいはオルタナティヴとなりうる思想のポテンシャルは隠されていないだろうか。本発表では、以上のようないまだ熟さぬ思索を通じて、「人類学的リスク研究の開拓」に向けたささやかな試論を展開する。