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第31回

【日時】2005年3月6日

福祉と人類学

「ろう者の世界」と「聴者の世界」のあいだで ―聞こえない人々の親子関係にみるコミュニケーションとアイデンティティ」

北林かや (東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程)


【発表要旨】
人類学の立場から聞こえない人々や手話言語を扱った研究が近年増加してきている。それらの研究に共通するひとつの大きな特徴は、聞こえない人々を「聴覚障害」という病理的なモデルによって捉えるのではなく、その言語(手話言語)、行動様式、アイデンティティ、社会関係、教育、歴史などに焦点をあてることで、社会・文化的な側面から聞こえない人々の世界を捉える点にある。 

手話言語を中心に結びついたろう者達の集まりが持つ独自性に対する認識の高まりは、音声言語を基盤とする人々、すなわち「聴者」の社会や文化に「ろう社会」や「ろう文化」を対比させる見方を定着させてきた。それにともない、「ろう社会」とエスニック・マイノリティとの類似点も多く指摘される一方で、ろう社会内部の多様性や、「ろう社会」の「境界線」をめぐる議論も活発である。 

ろう社会内部の多様性の一端は、文化継承の単位をめぐる問題にある。聞こえない子供の多くは聴者両親のもとに生まれるため、子供は主に家庭の外で、家族以外のろう者から、ろう社会の核となる手話言語やろう者としての振る舞いを身に着けていくこととなる。聾学校や地域のろう者団体などを通じた他のろう者との付き合いは、ろう者としての社会化やアイデンティティ形成の重要な場となる。一方でこうした付き合いに参入する時期や経緯、それに伴う手話言語の習熟度やろう者とのかかわりのあり方には個人差が生じ、そのことがろう社会内部の多様性を生じさせる。特に、聞こえない子供が聴者中心の普通学校に通う「インテグレーション」の増加は、こうした状況に影響を与えているとされる。 

本発表では、まず人類学及び教育学、言語学などの周辺諸分野においてろう者や手話を扱った先行研究を踏まえ、手話言語の特徴と、その話者を取り巻く状況をろう教育の歴史的経緯を中心に整理する。そのうえでろう者の親子関係に着目し、手話言語を基盤とするろう者と、音声言語を基盤とする聴者の世代が家族のなかで交差するときに、両者がどのようにかかわりあい、またその差異を意識化していくのかを検討する。それらの検討を通して、ろう社会を分析する際の前提となる諸事項を整理すること、さらに議論を深めるためにろう者の親子関係をめぐる経験に視点を据えることの重要性を示すことが本発表の主要な目的である。


ひきこもり支援の人類学的考察―支援現場の事例より―



堀口佐知子(オックスフォード大学大学院社会人類学専攻博士課程)


【発表要旨】
若者の「ひきこもり」現象は1990年代後半以降、日本で社会問題化されてきた。就学・就労をせず、対人的な交流のない「ひきこもり」の青少年が問題化されるとともに、彼等の社会参加を支援するために多様な支援が行われるようになり、現在日本全国に100以上の支援団体が存在するといわれている。本発表では、関東で活動する2つの民間支援団体の事例を中心に、「ひきこもり」支援活動及びその目標、支援現場における葛藤について述べる。そして、人格論の観点から、いわば社会のマージンに位置し人格が危機にさらされている「ひきこもり」の社会参加へのプロセスを描くことにより「ひきこもり」当事者、家族、支援者等、多様な関係者の描く人間像のせめぎあいを明らかにする。

本発表ではまず、「ひきこもり」の社会問題化の経緯と定義の概略を述べ、「ひきこもり」支援活動を概観する。その後、関東で活動する2つの民間支援団体の事例を紹介し、支援団体の概略・目標、設立過程、主な支援活動の内容や、支援現場における利用者・支援者間の葛藤について述べる。支援団体Aは、1995年教育雑誌の編集に携わってきたA氏により設立され、「ひきこもり」当事者の対人関係づくりを主たる目的とした自助的なフリースペースを中心に、訪問活動、親の会、就労支援等を行っている団体である。支援団体Bは、もともと支援団体Aで相談員をしていた臨床心理士B氏によって2002年設立された「自助グループ」であり、「ひきこもり」当事者の就労・就学を主眼としたプログラムを中心に、コミュニケーション、訪問活動、訪問支援者や、親の会を行っている。ここでは、両団体の支援現場の事例を通して、通常性から逸脱したとみなされる「ひきこもり」や「ひきこもり」を抱える家族、及び支援者が抱いている「人とはどうあるべきか」というまなざしを考察する。明らかとなるのは、あらゆる人間像が交錯する支援現場である。即ち、社会参加を果たし他者と関わることができ親から自立した存在としての大人、子どもを社会化する責任を持つ一方で自立した社会の一員としての生き方を模索する親、利用者の自主性を尊重しつつも依存に応えることのできる成熟した支援者、としての人間像、加えて「ありのまま」を認めるべき存在、としての人間像という多様なイメージの間で葛藤がみられるのである。