研究会の記録‎ > ‎2002年度‎ > ‎

第5回

【日時】2002年4月21日

修士論文構想発表会  

災害と/の人類学:ひとつの可能性へ向けて

木村周平 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程) 

【発表要旨】
災害には依然「外部から社会を襲う」とか「非日常の出来事」というイメージがつきまとっている。神戸やNYをめぐる報道はそのイメージを強化したかもしれない。しかし、その映像は同時に、災害という現場で、複雑に絡み合った、不確実性を孕んだ状況に懸命に対応し、それを乗り越えていこうという人々の姿を映してもいた。本発表ではこのように、災害をコムニタス的イメージからではなく、さまざまな組織や人々が相互に関係しあう社会的実践の過程として捉え、「災害」と「人類学」のあいだに位置する研究のあり方を(ただしあくまでもひとつの理論的プログラムとして)提示することをめざす。具体的な内容としては、(1) 災害をめぐる社会科学的な研究史を辿り、その射程と限界を示したうえで、(2) 被災した社会の復興過程の研究を人類学の一領域として位置づけうるという可能性と、災害研究における人類学的アプローチが意義をもちうる可能性を指摘する。


村落開発における住民組織とソーシャル・キャピタル―セネガルの女性グループの事例から
丸山麻子 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】
人類学は従来、互酬性、信頼、規範、ネットワークなどインフォーマルな社会制度について多くの研究を生み出してきた。1980年代にこれらが、民主主義との関係で「ソーシャル・キャピタル」として脚光を浴びるようになると、1990年代には開発研究においても注目されるようになった。本論文ではまず、経済学、社会学などで行われているソーシャル・キャピタル論を整理し、それが開発研究においてどのように議論されているのかを見る。次にインフォーマルな社会制度についての人類学的研究を、ソーシャル・キャピタル論の観点からまとめ、開発研究に対する貢献の可能性を示す。その後具体的な事例として、筆者が関わったセネガル村落部の女性グループを取り上げ、結束的ソーシャル・キャピタルや現地行政との橋渡し的ソーシャル・キャピタルが、村落開発においてどのような影響を及ぼすのか、ミクロな分析を試みる。

差異の再定位にむけて─障害をめぐる、組織・政策・実践からの一考察─

猪瀬浩平  (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】
本論文は、人類学のプラクティス論を検証しながら、これまで正面から取り上げられてこなかった「身体障害」の問題を取り上げ、身体と組織・政策・道具との動態的な関係の解明を図る。プラクティス論の要点は、「個人が、超時間的/抽象的な文化カテゴリーを受容していく過程」から、「具体的な社会的実践に参与する過程」への「学習」概念の転換として、或いは「文化的な知識が書き込まれる社会的白紙」から、「他者や道具との多様な関係に開かれた存在」への「学習主体」の移行として整理される。しかし従来のプラクティス論では、不確実性が高く、それぞれのアクターが異なる思惑や目標を持つような状況が見落とされてきた。この反省を踏まえ、日本の具体的事例を参照に、「障害児」が通常の学級でいることで高まる不確実性への対応を社会的学習の過程と捉え、組織・政策・道具との関係から分析を行い、プラクティス論へのフィードバックを試みるとともに、既存の障害論の批判的な検討を行う。


資源化する「死」─現代日本の葬儀産業を事例として─

田中大介 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】
本研究では、現代日本における葬送儀礼の行われ方、ならびに儀礼の執行における葬儀産業の役割に注目しつつ、「死」がまさに生者達の「資源」として用いられている状況を提示する事を目論んでいる。また、ここにおける分析と考察は、「死」に対する個人的側面を超えた傾向を捕捉しようという「死の人類学」に向けての出発点として設定されている。研究の方向性としては、儀礼を構成する様々な細部の所作から「死」の多様な解釈を観測するのではなく、あくまで儀礼を「死にまつわる一連の実践」とだけ見なす事で儀礼行為が有する多様性に拘泥する事を避けながら、当事者の実践・行動が「死」に向かってどのような方向性と意図を伴っているかを、現代日本の葬儀産業の動向を事例にあげつつ分析していく事としたいと考えている。より具体的には、儀礼の実践的側面がどのように変化しているのかという動態を、「産業化」という概念を基軸に据えて考察していきたい。

モノ作りの人類学:作製に関わる知識の伝達とイノベーション

南園秀人 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】
人類の現在の繁栄は、人類がモノを作り続けてきたことにあるといえる。作製に関わる知識はどのように伝達されるのであろうか。伝達は近年、人類学の中で注目を集めているが、壺作りや機織り、産婆などの徒弟制研究がレイヴ&ウェンガーの「実践共同体」へと発展すると、伝達は小規模な集団を対象に考察されることとなった。それらの研究は伝達を知識の再生産として記述・分析するが、実際の伝達はイノベーションを伴い、単に複製の過程ではない。発表者の見解では、実践共同体のように伝達を集団から見る研究はイノベーションを従属的問題として位置づけ不十分である。イノベーションは個人から起こることをふまえると、伝達は集団よりも、個人を視点に見ることが重要である。本発表では伝達における個人の具体的なつながり、知識の表現されるメディア、学習の場と周期、評価を強調した枠組みを立て、作製に関わる知識がどのように伝達され革新されるかを示す。

『誇り高き馬』を読む:自伝の歴史人類学的研究

鈴木需 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】
フランスのブルターニュ地方についての従来の歴史研究(特に日本の)は、常にブルターニュ[的なもの]とフランス[的なもの]との対立を中心におこなわれてきた。それは、<国家⇔反乱者>という対立にはじまって、<中央集権⇔地方分権>、<共和主義⇔キリスト教>、<フランス語⇔ブルトン語>というように様々なかたちで展開され、一定の成果を挙げてきた。しかし、そのような対立が住民の生活のレヴェルでどのように現れていたのか(あるいは、現れていないのか)は、これまで問題とされることが少なかった。そこで、P・J=エリアスが自身の少年時代を綴った自伝『誇り高き馬』を史料として、第三共和制末期のブルターニュの一農村に的を絞った歴史人類学的研究を試みたい。エリアス少年や彼の家族・隣人の生活においては、政治・宗教・言語といった問題は、従来のように一般化・数量化されたかたちではなく、具体性を伴ったかたちで考察されるはずである。


生物医学における narrative approach に関する人類学的考察

伏見由香里 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】
生物医学においては、この約20年間、より科学的な厳密さをもった医学、すなわち「根拠に基づく医療(EBM: Evidence-Based Medicine)」を求める動きが高まってきた。また、遺伝子や免疫等に関する研究の発展も、ますますめざましい。しかしその一方で、今日の生物医学は、医療過誤や、安楽死、クローンなどをめぐる医療倫理の問題のような、多くの負の側面をもさらけ出している。このような状況の中で、一つの注目すべき動きとして出てきているのが、「語りに基づく医療(NBM:Narrative-Based Medicine)」という主張である。精神医学や医療人類学、社会学、心理学等の研究成果を総合する形で、1998年にイギリスでEBMを補完するものとして提唱されたNBMだが、なぜ今新たにnarrativeなのか?本論では、生物医学におけるnarrative approachを、医療人類学における近年の研究や、現在の生物医学が置かれている政治経済的・社会的背景等を含めて、全体的に分析して行く。

出産の人類学─モロッコの事例を中心に─

井家晴子 (東京大学大学院文化人類学研究室修士課程)

【発表要旨】
出産介助者と産婦との関係は、途上国はもちろん、出産が医療化したと言われる先進国においても、医師との関係よりもずっと近く、深いものであると言われる。しかし、これまでの先行研究を概観すると、出産介助者は保健・医療分野の政策と地域社会の仲介者でありながら、そういった視点で出産介助者と地域社会との関係に注目して先行研究をレヴューしたものはないように思われる。本発表では、先行研究をもとに地域社会と政策の仲介者としての出産介助者の役割を示す。さらに、モロッコ王国、オートアトラス地方アイトイクテルでベルベル族を対象に筆者が行った調査を元に、出産の場に錯綜する「感情(羞恥心)」を分析することで出産介助者とコミュニティーとのミクロな関係が分析できることを主張する。