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第1回

2001年12月27日
親族・国家・自由─旧チベット社会における一妻多夫婚の再考から

大川謙作(東京大学大学院文化人類学研究室博士課程)

本発表は、旧ダライラマ政権の政治構造の解明という発表者の関心の一部として位置付けられ、特に個人と国家の関係を明らかにするひとつの手がかりとして、その両者の中間範疇としての親族や世帯に注目するものである。民族誌学的に多くの注目を集めてきたチベット系民族誌における一妻多夫婚について考察が行われ、一妻多夫婚が選択される背景とプロセスを再構築する形で分析される。それらを通じ、親族研究が蓄積してきた通文化的な概念が個別社会の研究にあっては相対化されざるをえないこと、親族が孤立した領域ではなく多くの他の社会領域との関連のもとに理解されるべき現象であることを確認する。次いで、にもかかわらず他の領域に還元不可能な親族の自律的領域が存在することを主張し、同時にチベット社会論において家族形態や世帯に注目することで得られた示唆を示す。

旧チベット社会の婚姻形態はきわめて多様であり、一夫一妻婚・一妻多夫婚・一夫多妻婚・複合婚をも含むものであった。それゆえあるものは兄弟一妻多夫婚を代表的婚姻形態とし、また別のものは一夫一妻婚を基本形態とした。だがこうした議論は婚姻形態の選択を親族という領域の中だけで完結したものとする前提によってしかなりたたないという点で不充分なものである。親族の領域を離れて一妻多夫婚が選好される農民の社会状況をみてみると、彼らの多くはダライラマ政権によって税戸(khral pa)と呼ばれる、世帯単位で課税される上層農民であること、世帯ではなく個人単位で課税されていた彼らよりも下層の小戸(dud chung)たちは一夫一妻婚を選好していたことが明らかになった。また富裕層の兄弟一妻多夫婚も、常に複数の兄弟が一世帯に留まる時のみ選択されること、男性が家産への相続権を持つことから、政府による世帯単位の課税への対応として、世帯を分裂させないためのひとつの戦略であることが示唆された。同時に男子のいない世帯は婿取り婚(妻方居住)を行い、同様にその際妻の世帯にいる女子が複数の姉妹の場合に一夫多妻が選択されることなどから、これらの婚姻諸形態は、すべて富裕層における「一世帯一婚姻」という原理のヴァリエーションであったことが主張された。

それゆえ「夫方居住か妻型居住か」あるいは「一妻多夫婚か一夫多妻婚か一夫一妻婚か」といった問いは親族を孤立した社会領域と見なさない限り成り立たないことは明らかである。なぜなら親族以外の文脈を参照すれば、それらは同一の原理の異なった表現と捉えられるからである。チベット系諸民族の一妻多夫婚はそれ自体として説明できるものではないという意味において、「親族」は孤立した社会領域ではない。

だが同時に、親族を経済や政治によって説明することは、親族を他の領域に還元してしまえるという誤解を招きやすい。例えば一妻多夫婚研究をめぐる人類学の議論は失敗の連続であったといわれる。一見「奇習」であるために、その機能や再生産のメカニズムを考察した多くの議論も、その婚姻形態の「起源」の考察と混同されてきた。だが、こうした発想は一夫一妻婚こそが基本的形態であって、一夫多妻がそこからの逸脱であるという臆件に基づくものである。「チベット人はなぜ一妻多夫婚を行うのか?」という問いは、「日本人は何故一夫一妻婚を行うのか?」と同じ論理構造の、不可解な、禁じられた問いである。そこで、一妻多夫は旧ダライ政府農村の社会システムに対して適合的であるという論証が、ダライ政府の統治政策によって一妻多夫婚が「生まれた」と誤解されることをふせぐため、本論では最後に敢えて「なぜチベットの貧農は一夫一妻婚を選好するのか?」という禁じられた問いを立てる。旧チベット社会では土地なき最下層の人身賃借民(mi 'bor)のみが移動の自由を持ち恋愛結婚を行う。これをとらえて元来自由で高いモビリティを持ったチベット人が、ラサ政府などの中央権力によって世帯単位で把握され、移動の自由を失い一妻多夫婚が優勢になったという解釈が存在する。だが本発表では、その人身賃借民は、中央権力によって土地を奪われ、世帯存続の戦略を敢えて取る必要をも失ったことによって、かえって一夫一妻婚を選択する自由を整えられたという解釈を提示する。このことによって、移動・職業選択・恋愛結婚にまつわる下層民の「自由」を、自由で個人主義的と想定されるチベット系社会のエートスであるとして中央集権化による世帯取り込みからの「残余」なのだと捉えるよりは、むしろ中央集権化によってはじめてその条件を整えられたものとして理解できること示す。

一妻多夫婚はおそらくチベットにおいて常に存在しつづけた形態であり、それが適応的である限りにおいて選好されてきた選択肢であった。その意味では、親族は孤立した領域ではないにも関わらず、法・政治・経済・儀礼・心理などのどれかひとつもしくはすべてに還元しきってしまうことが不可能な領域でもある。そうした社会領域との関係を表現する言語として、最終的には還元不可能な親族独自の領域が存在するということが最後に主張される。こうした考察によってチベットという個別社会の研究において、親族が今日なおも有効な視角であることが示されたと考える。